夏の終わり

夏の終わりには ただあなたにあいたくなるの

森山直太朗のこの歌、夏の終わり。

書生のアドレセンスにこの歌はリリースされ、

それ故、この歌を聞く度にあの頃を思い出す。若かったあの頃、あの頃の書生は

今この時を想像していただろうか。

いや、まったくしていないだろう。思い出してみても、絶対違う。

 

あの頃の書生は、そこから現在に至るまでに経た多くの道を、正直、まったく想像していなかった。

 

そして驚くべきことに、これはもう少し歳を重ねれば分かるものなのかもしれないが、

当時の自分が描いていた今の自分と、実在する今の自分との差が大きい。

もう少し大人であったり、立派であったりするものかと思っていたが、

案外そうでもない。

いや、ひょっとしたら当時の自分から見たら、とても立派なのかもしれないし、あるいはとても失望しているかもしれない。一体どういうことがあって、こうなるのかに対して聞いてくるかもしれない。というかきっとそうなる。

しかしながらこれは同時に、今現在の自分にしてもそうである。それを忘れてはならない。

 

 

よく3年後、5年後、10年後にどうなっていたいかを考え、そこへ至るまでに成すべきことを挙げ、日々取り組むことが必要であると言われる。

 

きっと、多くの人々がみんなそんなようなことを言われていると思うのだが、

となると実際のところみんななりたい自分になれているのだろうか。

原因があり結果がある。ではその結果とは自らが望んだものなのだろうか。

というかなりたいものとか、そういったものって日々変わるような気もして、

その度に修正しながら、結局いきついた先は当時の自分からすれば全く理解のできないものだったということは少なくない気がする。

一方で、世の中で活躍する人の中には、小さい頃から一貫して目標、夢を変えずに、見事に成し遂げている人が多くいる。この違いは何だろうか。

語り継がれている言葉を借りれば、わずかの才能と尋常でない努力の結果なのだろう。

それも、努力がやみくもではないのも留意すべきポイントかもしれない。

ただ頑張っています、だから神様お願い、僕の夢を叶えて!

こんなのではダメなのだ。もっとも、書生の昔はそんな感じだったからだが汗

 

なぜ急にこんなことを書いたのかは分からないが、これも夏の終わりの仕業なのだろう。

というか週末読んだ村上小説の影響かもしれない。