つれづれなるままに(リーダーとは)

今回もまたつれづれなるままにつづる。

 

書生の気づきを風化させないためにである。

 

如月のとある日、書生は旧友と酒を飲みかわしながら、

仕事への熱の入れ具合についてお互いの意見を交わした時のことだ。

 

その話になるきっかけとして、先日書生が感銘を受けた、Unix哲学の一つである、

Small is beautiful

を引き合いに出し、組織の中にあって、緊急事態に備え、

常に自分の替えが効くような状況にするのが重要であるという話をした。

友人の意見は、それは問題の重要度によるというものであった。

自身が責任ある立場におり、自身の決断が会社の決断になるような局面において、

それが身内の不幸と重なった場合に潔く決断はできないであろうし、現実に仕事のために身内の不幸が起きた際にそちらを優先しなかった(できなかった)例は少なくないとのこと。

 

書生は恥ずかしながらそのようなシチュエーションを想定してなかったので、

そのような重要な局面において、どちらを選択したとしても、それはそれで良いのではないかと返答した。

友人曰く、そういった場面で仕事を選択するような心持ちに無意識でなってしまうようなことはないだろうか、とのこと。天秤にかけた時に無意識に仕事の方が重いものと捉えるようになるのではなかろうか、と。

 

書生はこれを聞いて、ただただ難しいと思った。人の心は移ろう、それは仕方がないことだし、何をしたってそれはやはり書生なのだ(優しい歌のフレーズにあるように)

という考えは様々な場面で書生を助ける言葉の一つであったが、

友人とのこの話を通して考えることが出てきた。

おそらくそこにはもっと強い人間としての重要な何か、信念をもってして判断する必要があり、信念がないという信念だけでも意識している必要があるのだろう。

それらを意識しているかしていないかで、自身の心の移り変わりの善し悪しが判断できるのかもしれない。

 

なんだか話がややこしい方向にいってしまった。まあこれもつれづれなるままに書く仕業であろう。

 

と、まあそんなことを考えていたわけではなく、今書きながらそんなことを考えていたのだが、その後、本を読んでいて一つこの問いに対する答えを偶然見つけた。

 

その本は、MBA体験記なのであるが、そこでは著者のMBA時代が記されている(って当たり前か)のだが、その中には、多くの教授、世界で活躍しているリーダーの講義から学んだことも多く記されていた。

 

その中の、とある教授(名前は忘れてしまったが)の話の中に、先に話した議論の一つの答えがあった。

 

「結婚式は裁量であり、葬式は義務である」

 

読んだところによると、彼は、組織を統括する立場に、つまり責任ある立場の人間であるのだが、組織の人間、部下の結婚式は事情があって出られないこともあるそうだが、部下の葬式には何が何でも出るそうだ。

 

上に立つ人間は人間として極めて重要なこととは何かを常に考え、行動する責務があるというわけだ(これは個人的な解釈であるが)。

 

それはまだ教授になる前、会社で組織を率いていた時代のことである。

その教授はもちろん日本人ではないため、日本社会にそれをそのまま当てはめることは難しいかもしれないが、今の日本の会社にあって、そのような決断を即座にできる人間は少ないように思う。

 

この話を読んで、書生自身はそうありたいと思い、また、今回のような例は少々極端だったかもしれないが、常に自身のうちなる信念とは何かを考え、それに従って日々精進したいと思ったのであった。